最近「うん、なるほどな」と思ったことのひとつに、メンタリストDaiGoさんのご著書の中にあった
「人脈とは」
ということについての説明があります。
なるほどな~と思い、自分の目指すところってもしかするとこういうことかもしれないなんて漠然と考えてみたので、その考えを記しておきたいと思います(いつか読み返す自分のために)。
人脈という言葉が嫌い?
ネットで「人脈とは?」と調べようとして、人脈と……まで検索窓に打ち込むと
「人脈という言葉が嫌い」
と出てきました。
むふふ。
私自身は人脈という言葉は嫌いではありませんが、「嫌う」人の気持ちもわからなくはありません。
多分、人脈という言葉が嫌いだという方は、身近な所に「意識高い系」の方がいて「人脈自慢」をされているのか、必死で人脈を作ろうとしている姿があまり美しく見えないかのどちらかなのではないでしょうか?
実際私も過去に異業種交流会っぽいものにたまたま出かけたときに、名刺をトランプのババ抜きが如く手に持って、見知らぬ方々に配り歩いている人を見てやや滑稽な印象を受けたものです。
「すごく頑張ってるな」と好意的に見る反面、家に帰って名刺をお渡しした方の顔を覚えているのだろうか?交換した名刺にメモも何もしていなかったので、どなたの名刺かわかるのかな?数打ちゃ当たる方式の(あら、失礼!)名刺交換で、本当にお仕事につながるかしら?と思ったものです。
でも、何もせずにヘラヘラ&ボーーーーッとしていた私よりは、数百倍素晴らしいと思いますけどね(これは本心)。
一般的な「人脈」のイメージはあまり良くない
意識高い系の名刺収集のような名刺交換を見たり、「○○知ってる?こないだ一緒に飲んでさぁ」なんて自慢されることが多い方にとっては、「人脈」とはあまりいい意味を持たない言葉なのかもしれません。
でも、人脈を辞典で調べてみると以下のようになっています。
姻戚関係・出身地・学閥などを仲立ちとした,人々の社会的なつながり。
出典:Weblio辞典
この本来の意味を見ると、まったくダークな香りはしないのですが、一般的には「ギョーカイ」だの「ツナガリ」だののともすれば胡散臭く、ともすればやや怪しげな香りが伴う「人脈」のイメージが先行しているような気がします。
あなたのまわりにもいませんか?
「有名人の○○と飲んだ」、「△△とツレ」、「☆☆はいい子だよ~」なんて、有名人とかなり親しげであることをアピールしたり、一緒に撮った写真をSNSにアップしたりする人。
こんな風な「人脈」を目の当たりにすると、人脈という言葉が嫌いになるのも分かる気がするのです。
でも、先日読んだメンタリストDaiGoさんのご著書には、「人脈を広げたい!」って思わされてしまうような一言が書かれていました。
人脈とは「誰に知られているか」が重要
いつものように図書館で借りて読んだので今手元になく、正確な文言はわかりませんが、DaiGoさんいわく「人脈とは誰を知っている」のかということよりも「誰に知られているか」が重要とのこと。
もうね、これ正解でしょ。
「あの人の名刺持ってます!」
「あの人と名刺交換しました!」
「あの人とパーティーで挨拶しました!」
「あの人と一緒に写真撮りました!」
っていっても、片方の人がそうやって喜ぶほどのお相手ということは、お相手がその人のことを覚えている可能性は限りなくゼロに等しいと思いません?
あこがれの方にお会いできて、純粋に喜ぶ姿は美しいと思います。
でもそれを「自分の人脈」だととらえてしまうのは、ちょっと違うような気がします。
反対に、自分は知らないけれど相手の方が知ってくれていて「いつか一緒に仕事がしたい」「何かあったら力になりたい」って思っていただける方こそが、「その人の人脈」なんですよね。。。。
「知ってるだけ、名刺交換しただけ、話たことがあるだけじゃ人脈ではない」
「相手の方に知っていただき、力になりたいと思っていただけることが人脈である」なのですよね。
これが「人脈」であれば、「人脈という言葉が嫌い」ではなくなるのではないでしょうか?
DaiGoさんの人脈についての考えがイイ
自信がない、自分に能力がないと思っている人ほど、勝者とのつながりを自慢したがる。俺は人脈がある、と言っている人が大したことがないのはこのため。
— メンタリストDaiGo (@Mentalist_DaiGo) January 27, 2015
人脈自慢をする人に、多くの方がいだいている印象をズバリ言い表している言葉ですね。
ことわざでいうところの「虎の威を借る狐」「人の褌で相撲を取る」でしょう。
ちょっと話は反れるのですが、本当に有名人と知り合いだったら「自慢する」より「むしろ隠す」と思うんです、私なら。
だって、どの分野で有名なのかにもよりますが、サインを頼まれたり、紹介を頼まれたり、ビジネスの話をされたりしたらと考えると、相手にも迷惑をかけるし自分も面倒ですよね(笑)。
もちろん「この人とあの方が一緒にお仕事をすれば良い結果が出そう!」となれば、紹介することはあるでしょうが、それ以外の人には徹底的に隠します(笑)。
「人脈自慢をする」ということは「さほど親しくない」ということなのでしょう。
そしてDaiGoさんのおっしゃる通り、「すごい人と知り合いのオレってすごいだろ?」なのでしょうね。
人脈に恵まれている人というのは、すれ違った相手とも人間関係を作れる人のことだ。つまり、人に恵まれるというのか幸運ではなく、行動の産物なのだ。
— メンタリストDaiGo (@Mentalist_DaiGo) September 1, 2017
確かに!
じ~っと自宅にこもって何もせずにいては人脈はできませんよね。
自ら外に出て積極的に行動をしたり、自宅にいても何らかの形で人と関わりを持てる環境を作るその行動が「人脈をつくる」ことなんだと思います。
人は「誰かに喜んでもらえるとうれしい」という感情を持っていると思います。
その過程はさまざまですが、誰もが誰かの役にたったり、誰かの助けになることはあるでしょう。
そして、それは助けた本人が見知らぬところでの出来事かもしれません。
何か行動をすることで知らない間に誰かの役に立つ。
これも、着々と人脈をひろげる行動の一つなのではないでしょうか?
だとすれば、私も人脈を広げたいなと思います(*´∀`*)
人脈は悪いものではない!
ちょっとした顔見知りであることを自慢したり、知り合いの知り合い(遠っ!)程度の方をお友達のように言ったりすることが「人脈」なら嫌ですが、人の役に立つことが「人脈」を広げることになるのなら人脈を広げることっていいことですね。
現代は「人脈」のイメージがダークな方へ(笑)一人歩きしているような気がしますが、本来の人脈の意味を再確認できたことで、積極的に人脈を広げたいな~と新たな目標をつくることができました。
大人数の人と直接かかわり合うことはあまり得意としないので、私にできる私なりの方法で、小さくても誰かのお役に立てるよう日々精進します(*´∀`*)
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