先日、人生を変えるために部屋をがらりと変えてみようというブログ記事を書きました。
一気に……ではありませんが、着実にコツコツと実践中です。
これまでも掃除や断捨離に関するブログ記事は何度も書いていますが、今回の「持ち物を8割捨てる作戦」についてもちょこちょこ記録していこうと思います。
持ち物を8割捨てることで、良い変化や効果があるといいなぁ♡
「8割捨てる作戦」を開始する前の現状
8割捨てる作戦の記録を始める前に、今回は現状を書いておこうと思います。
ガラクタはほぼない
何年前になるのでしょうか?15年以上前になるのかな?
たまたま図書館で目についたカレン・キングストンさんの「ガラクタ捨てれば自分が見える」という著書を読み、私の部屋は変わりました。
実はこの本を読むまでの私の部屋は、文字通り足の踏み場のない状態でした。
部屋の奥にベッドを置いていたのですが、帰宅後部屋の入口からベッドに向かって荷物を放り投げ、その後は床の隙間を見つけて三段跳びの要領でベッドにたどり着いていました。
当時、家族からは私の部屋は「夢の島(かつてごみ処分場だった)」と呼ばれ、本当に物が散乱していました。
カレンのおかげで脱却したその部屋を、今では思い出すこともリアルに想像することもできません。
気を抜くとどうでも良いものが溜まる
読んでいる途中でモノを捨てたくなってウズウズすると評判の、ガラクタ捨てれば自分が見えるを読んで、溜めに溜めていたガラクタたちを処分しました。
初めてガラクタ処分に取り組んだ時にガツンと捨てて、その後、時間の経過とともに何度も取り組んでいるので、今では床は見え、押入れの中のスペースもゆとりがあります。
そういえばもうずっと「片づけなさい」という言葉を聴いていないなぁ。
ただ、スペースがあるものですから、気を抜くとどうでも良いものが溜まりがちです。
また、未だに「こんなものあったんだ!」というものが発掘されたりもします。
ミニマリストにはあこがれていない
断捨離記録として、インスタグラムを活用しているのですが……
ハッシュタグなどに、#ミニマリスト に憧れる などと記載していたのですが、改めて冷静に考えてみると、私はミニマリストには全くあこがれていませんでした(笑)。
ものが少ないことが快適とは感じていませんし、できる限り物を減らしたいとも思っていません。
定義は人によって様々ですが、一般的に思われることが多い「極限まで持ち物を減らした人」のことをミニマリストと呼ぶのなら、それになりたいわけではありません。
ただ、持ち物全てが一軍であり、すっきりとした空間はつくりたいと思っています。
シンプリストという呼び名なら当てはまるのでしょうか?
このあたりの言葉の定義が、あまりわかっていないのかもしれません。
「8割捨てる作戦」の目的は変化と効果
私が持ち物の8割を処分したいと考える、最大の目的を明確にしておきましょう。
人生を変えるほどの変化と幸運が訪れる効果
私が「8割捨てる作戦」を行う目的は、人生を変えること、幸運を呼び込むことの2つにつきます。
ただ、その結果、部屋がすっきりとして心地よくなるだとか、無駄なものを買わなくなるだとか、物を大切に使うようになるだとかのメリットはたくさんあると思います。
今でも充分幸せなのですが、もっと「あっ!」と驚くような変化が欲しい(もちろん良い方向に)。
持ち物の8割を処分することで、今の私では想像もしなかった場所に行けるのではないか?そんなことがあったら……
めっちゃ、おもしろいやん?
という気持ちです(笑)。ま、言うならばノリですね、ノリ。
そう。人生変えてやるわよ~キーーーーーー!!!!と、悲壮感漂う感じではなく、良い方向に行けばラッキー♪くらいの軽めのノリです。
でもその変化って、案外人生を大きく変えるのではないかなと思っています。
8割捨てることで、どんな変化が訪れるのかが自分でも楽しみです。
もともとパレートの法則は好き
8割捨てるの8割は、80:20の法則=パレートの法則からきているものです。
以前もブログに書きましたが、80%の成果は20%によってもたらされるということ。
例えば洋服なら、100着持っていても実際に良く着ているのは20着だとか、ペンも10本あるけどその内2本しか使っていないとか。
この考え方に納得しているので、8割捨てるっていうのは一見大胆でやり過ぎのように感じるけれど、案外現実的なんじゃないかな?と思っています。
私にとっての8割捨てるとは?
さて、前述の通り、私は過去に何度も「ガラクタ処分」を行っています。
そう、ガラクタを捨ててある程度自分が見えている(いや、言いすぎた。まだそこまでの境地には達していません)わけです。
かつて「夢の島」と謳われた(?)頃の私なら、本当に持ち物の8割を捨てることができたでしょうが、今の私が8割捨てると、残るものは何もないかもしれません。
それでは窮屈な暮らしを強いられるので、私の目指すところではありません。
そこで、私にとっての8割の定義を決めたいと思います。
知らない持ち物はない状態にする
最初に少し書きましたが、今でも「あれ?こんなもの持ってたっけ?」というものが発掘されます。
顕在意識ではすっかり忘れ去られてしまっているものです。
先日処分したものの中にもありました。
一例になりますが、映画や舞台のフライヤー(チラシ)。
当時は出演者のファン(?ライトファン???)だったので、こういったものも大切にとっていたのですが、今回改めて押入れをチェックした時に見つけて「ん?こんなものがあったんだ~!」という気持ちになりました。
前回ガラクタ処分をしたときには確かに残すべきものだったし、私にパワーを与えてくれていたものです。
でも、時の流れと共に存在自体が忘れ去られ、今の私には必要のないものになりました。
このような、「あれ?こんなのあったんだ」というものは無くしていきたいです。
実用品ではなくても気分をアゲてくれるものは大切に、でも厳選する
実用品ではなくても、見ると楽しい思い出やうれしい気持ちになれるようなものは残します。
ただ、内容は厳選します。
「ちょっと好き」ではなく、「めちゃくちゃ好き」なものを厳選します。
もし「ちょっと好き」を見逃すと、「嫌いじゃないもの」と混同してしまいそうです。
「持ってるものは全て一軍」を目指します。
迷ったら捨てる……??
8割捨てようと思ったら、「迷ったら捨てる」くらいの気持ちでなければいけないのかもしれません。
今回、「8割捨てる作戦」を実践するにあたって色々な方のブログを拝見しているのですが(楽しい!)、その中で何名もの方が言っていたのが「迷ったら捨てる」でした。
確かに、絶対に必要なものなら「迷う」ことはありませんよね?
中には「もったいないか、幸運になるか」を秤にかけて、幸せになりたいから捨てているという方も(笑)。
迷うということは、現在使っていなくて、見るだけでうれしくなるものではないということ。
それでも捨てられないのは、もったいないとか、また使うかもしれないとか考えてしまうから。
でも、そう思うと言うことは、裏を返せば必要になったときに買うことができない私を想定していると言うことになります。
今回処分して、もしまた必要になれば、その時の自分にぴったりの、処分したものよりもワンランク上のものを買えばいい、と考えればいいような気がします(それが難しいんだけど)。
なりたい自分に似合うもの
掃除の度に言っていることですが、残すものは「なりたい自分に似合うもの」にしたいのです。
これを基準にすると、もしかすると今履いている靴下なんかも処分対象になるかもしれない(笑)。
今着ている服だって、処分対処になっちゃうかも。
でも、せっかく捨てることで変化を期待するのだから、なりたい自分に似合うものを選別したいと思うのです。
かと言って、靴下を全て処分したらたちまち今晩から困ってしまいます(ゆる冷え取り実践中なので、夜も靴下を履いています)。
なのでコツコツと、なりたい自分に似合うものに買い替えていきたい。
また、一気に全てを買い替えることは現実的ではないので、優先順位をつけるためにも今あるものを使い切りたいです。
優先順位の付け方は人それぞれですが、私は「使い切ったものから買い替え」にしようと思います。
持ち物は全て一軍を合言葉に!8割捨てる作戦!スタートです
8割捨てる前の現状と、決意表明でした(笑)。
過去何度もガラクタ処分に取り組んでいますが、8割捨てることを考えたことはなかったわ。
大きく捨てれば大きな変化があるかもしれない。そんなワクワクとした気持ちが湧いています。
さぁ、今日はお仕事がお休みなので、午後からも疲れない程度にガラクタを処分しようと思います。
(疲れると判断基準が鈍って処分に失敗するらしいので)
楽しみながら処分しよっと!
※私が読んだ本は初版(?)でしたが、今は「新」が出ています。
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